
東映京都にテレビプロダクションができたのが1964年。第一回作品は品川隆二主演の「忍びの者」。
リアリティのこだわった演出で、今でも傑作と評される。
第1話で、忍者の掟として、曽根晴美が顔を消すシーンは今でもハッキリと覚えているぐらいだ。
テレビの世界でも時代劇スターを作ろうと、まず、若手の面々を売り出そうと考えだされたのが、
三野郎

左から坂口祐三郎、嶋田景一郎、林彰太郎の三野郎
その三野郎が、初めて顔を揃えたのが、東映テレビプロ制作の「六人の隠密」という作品。

映画スターがテレビに出ること自体、プライドが許さなかった時代。
ベテランの黒川弥太郎、月形龍之介がテレビ時代劇に出演するだけでも事件だった。
ドラマは、個性豊かな6人の隠密が、様々な忍術・剣術などを使って、幕府を脅かす数々の難事件を解決して行く話で、他には栗塚旭、三島ゆり子、阿波地大輔などが出演。全19回。
三野郎を売り出す!という割には、坂口さんに至っては2回しか登場しない。
「赤影」でブレイクするのは、この3年後でした。まだ、これからという2003年7月に61歳で死去。
嶋田景一郎さんは、その「赤影」の第三部・根来篇(織田信長役)出演を最後に、役者を辞めて東京へ。
2009年12月、青影の金子吉延さんのブログでは、新文芸座で嶋田さんに声を掛けられたことを綴っています。
林彰太郎さんは、1990年までは多数の映画、テレビに出演。「ブラック・レイン」は唯一の外国映画。
その後、東映俳優養成所で講師をしていたそうなんですが、何年か前に亡くなられたそうです。
役者で生きてゆけなかった嶋田さんだけしか、現実には生きていないというのも…辛いですね。
「六人の隠密」は横浜の放送ライブラリーにもなく、東映チャンネルにもかからない、幻の作品となっています。
観てみたい作品のひとつなんですけどね。
ブログランキングに参加しています。
この下を↓

プチッとクリックお願いします!
リアリティのこだわった演出で、今でも傑作と評される。
第1話で、忍者の掟として、曽根晴美が顔を消すシーンは今でもハッキリと覚えているぐらいだ。
テレビの世界でも時代劇スターを作ろうと、まず、若手の面々を売り出そうと考えだされたのが、
三野郎

左から坂口祐三郎、嶋田景一郎、林彰太郎の三野郎
その三野郎が、初めて顔を揃えたのが、東映テレビプロ制作の「六人の隠密」という作品。

映画スターがテレビに出ること自体、プライドが許さなかった時代。
ベテランの黒川弥太郎、月形龍之介がテレビ時代劇に出演するだけでも事件だった。
ドラマは、個性豊かな6人の隠密が、様々な忍術・剣術などを使って、幕府を脅かす数々の難事件を解決して行く話で、他には栗塚旭、三島ゆり子、阿波地大輔などが出演。全19回。
三野郎を売り出す!という割には、坂口さんに至っては2回しか登場しない。
「赤影」でブレイクするのは、この3年後でした。まだ、これからという2003年7月に61歳で死去。
嶋田景一郎さんは、その「赤影」の第三部・根来篇(織田信長役)出演を最後に、役者を辞めて東京へ。
2009年12月、青影の金子吉延さんのブログでは、新文芸座で嶋田さんに声を掛けられたことを綴っています。
林彰太郎さんは、1990年までは多数の映画、テレビに出演。「ブラック・レイン」は唯一の外国映画。
その後、東映俳優養成所で講師をしていたそうなんですが、何年か前に亡くなられたそうです。
役者で生きてゆけなかった嶋田さんだけしか、現実には生きていないというのも…辛いですね。
「六人の隠密」は横浜の放送ライブラリーにもなく、東映チャンネルにもかからない、幻の作品となっています。
観てみたい作品のひとつなんですけどね。
ブログランキングに参加しています。
この下を↓

プチッとクリックお願いします!
スポンサーサイト

スクラップブックの類いを整理していたら懐かしい切り抜きが出てきた!

ニューライフ京都 1979年3月16日付
昭和54年だから、関西テレビの夕方に「赤影」を再放送していた頃ですね。
この頃はまだ西京極に住んでいらっしゃって、前にも書きましたがファンクラブの取材という名目で自宅に伺ったこともありました。
しばらくして坂口さんはバイク事故に遭われ、肩を痛められたので「魚末」さんを辞められました。
その後、魚屋の大将の方は出世して料理屋を始められたそうです。
やっぱり坂口さんがアドバイスされたのかなぁ…。

こちらはファンクラブ会員しか知らないショット
ブログランキングに参加しています。
この下を↓

プチッとクリックお願いします!

ニューライフ京都 1979年3月16日付
昭和54年だから、関西テレビの夕方に「赤影」を再放送していた頃ですね。
この頃はまだ西京極に住んでいらっしゃって、前にも書きましたがファンクラブの取材という名目で自宅に伺ったこともありました。
しばらくして坂口さんはバイク事故に遭われ、肩を痛められたので「魚末」さんを辞められました。
その後、魚屋の大将の方は出世して料理屋を始められたそうです。
やっぱり坂口さんがアドバイスされたのかなぁ…。

こちらはファンクラブ会員しか知らないショット
ブログランキングに参加しています。
この下を↓

プチッとクリックお願いします!